三神合祭殿 重文・日本最大の茅葺き建物との事です |
東北入り込みの5日目です。
1日目の弘前市内のレポは、 こちらです。
2日目の岩木山のレポは、 こちらです。
3日目の秋田駒ヶ岳のレポは、こちらです。
4日目の鳥海山のレポは、 こちらです。
暑くて眠れなかった酒田市内から深夜に移動し、こちらでゆっくりと睡眠。
天候の関係で予定を短縮して、今日帰路に付く事に。
少し勿体ないのですが仕方が在りませんね。残り半日を存分に楽しみましたっけ。
早朝の月山ビジターセンターの広い駐車場にエックス君が1台ポツンと。
時たま、トイレに立ち寄る方が居られるくらいでした。
朝食を済ませて、コースの相談。
カル2の主目的・三神合祭殿を、外す事は出来ません。
特別天然記念物・羽黒山杉並木も外せません。
しかし、杉並木には三の坂まであり、2446段の石段がお控えあそばしております!
疲れて来ると石段の下りが足に来ますので、”石段を登って終了にしよう”と決定。
羽黒山有料道路を使って山頂まで行ってしまいました。
カルディナのレポは、こちらです。是非一緒にお読み下さい。
地図中の右上部の1 から左上部の2 を往復
羽黒町観光協会HPよりお借りしました。
祭 神
月山神社 月讀命
出羽神社 伊弖波神 稻倉魂命
湯殿山神社 大己貴命 少彦名命 大山祇命
由緒伝来
羽黒山に鎮座しており、全国に200社ほどある羽黒神社の本源社。
社名は、出羽と書いて「いでは」と読む。出羽の由来は、越国の先端(出で端)にあるためとか、
矢羽に使用する鷹の羽の産地であるとか、さまざまな様です。
本来は、その出羽神社のみが鎮座していたが、現在は、月山鎮座の月山神社と、湯殿山鎮座の
湯殿山神社を合祭し、三神合祭殿となっている。
中央に月山神社、右に出羽神社、左に湯殿山神社が祀られ、通称出羽三山神社(でわさんざんじんじゃ)
と呼ばれている。
ただし、出羽三山にも異説があり、月山と羽黒山の他に、鳥海山や葉山を加える説もあるとか。
創祀年代は不詳で、一説には推古元年(593年)の開山。
崇峻天皇の第三皇子の参拂理という方が、蘇我馬子の計略により北海の濱に追放され、聖徳太子を
師として仏門に入り弘海と称していたが、片羽八尺で三本足の霊鳥に導かれ羽黒山に至り、阿久谷
の谷で数年の行を行い、能除太子と呼ばれ、羽黒山に羽黒神を祀り、修験道場を開いたという。
太子の別名を蜂子皇子という。太子の没後、役小角が入山修行し、太子の法を継いだ。
詳しくは、出羽三山公式サイトをご覧下さい。
駐車場からほんの少し進むと大きな歴史博物館が、そして赤い両部鳥居がお出迎えでした。
鳥居を潜ると、右手に大~~~きな建物が目に入りました。
鏡池の向こう側に立派な茅葺きの三神合祭殿が。
拝殿前には、大きな狛犬さんも見えていました。社殿が大き過ぎて全体が写真が撮れません。
山形は雪国なので冬季期間は入山できないために、ここで三社合わせて参拝できるようにした。との事。
社殿の茅葺き屋根の補修をしていました。
虹梁上で真っ黒な力士が肩で屋根を支えていました |
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木鼻の狛犬さんと高い台座に座っている昭和36年(1961)5月建立の大きな狛犬さん。
こちらには拝殿前の狛犬さんは1枚とし、狛犬写真集に多く載せます。
先ほどご紹介をした鏡池にはコウホネの黄色い花が可愛く咲いていました。
三神合祭殿の東側には、茅葺き屋根の鐘楼と建治の大鐘がありました。
国の重文で最上家信の寄進で元和4年再建した。山内では国宝五重塔に次ぐ古い建物とのです。
時刻は9時に近く、鐘楼の向こう側の参集殿から正装の巫女さんが出て来られました。
参集殿の後ろ側には、多くの境内社が祀られていましたが割愛させていただきます。
お注連(しめ)を首に掛けた参拝の方々が、山伏の先達により広い境内を巡っていられました。
三神合祭殿の西隣り、出羽三山開祖・蜂子皇子を祭神として祀っている蜂子社です。
そのお隣の厳嶋神社です。
柱に絡む登り龍・降り龍は金網に覆われていました。
厳嶋神社の左手、表参道の頂上に赤い両部鳥居があります。
”涼しいうちに杉並木・2446段の石段をクリアしましょ!”と言う事で潜りました。
往復していますので、一部重複する箇所も有ります。アシカラズ!石畳や石段が続く参道を、トントントンと降りて行きました。
樹齢3~500年・約800本との説明書きが、本当に太くて大きな杉が沢山ありました。
以下、かなりの部分を省略しています。
←↑ 継子坂を登って、随神門へ |
三、二、一の坂を降りると五重塔や爺杉などがありましたが、そのレポは登りの際に。
随神門と石の鳥居を潜り、参道入口へ。(一の大鳥居は確認出来ていません。)
仕切り直しで二の鳥居を潜りました。扁額には三山の名前が浮き彫りに。
※ 往路で撮った写真も混在しています。
右手の天地金神社をお参り。こちらの柱にも龍の彫り物が。
随神門です。明治政府の政策により仁王門から随神門へ。
継子坂を降りると、朱色の祓川(はらいがわ)神橋で須賀の滝が見えました。
須賀の滝からの眺め |
参道に戻りますと直ぐに左手に爺杉が。
樹齢1000年以上、根元周囲11.5m、樹高84.3mとの事です。
更に進むと、国宝・五重塔。祭神は、大国主命との事。
東北地方では最古の塔。室町初期の建築構造で、約600年前に平将門が建立した。
素木造りで釘は一本も使用しておらず、三間五層・?葺(こけらぶき)の様式で高さは29m。
慶長13年(1608)には、山形城の最上義光の修理があって今日までに形を残しています。
伏鉢(ふくらばち)には、最上義光と修理した記録の銘が彫られている。との事です。
一の坂を登ります。ユリが応援してくれましたっけ。
一の坂をクリア、降りてくる時に”ここを登るのか?”と思った二の坂へ。
短いですが、別名・油こぼしと言われていたとかの急な坂です。
二の坂の急な石段も何となく終わり、二の坂茶屋でカキ氷目当てに一休み。
庄内平野が一望出来ました。
天気が良いと日本海が見え、酒田市にある離れ小島の飛島も見えるとか。
本来ならば、修験道の修行でも出されるちから餅(あんこ・きな粉・納豆味)が良いのでしょうが、
あまりの暑さでカキ氷をお願いすると、”こちらにご記帳を!”と言われました。
住所欄をサラリと見ると、神奈川県人が大勢来られている様子でした。
で、美味しくかき氷を食べ終わる頃には、下の様な認定書を頂きました。
我が家の場合は往復ですから、2,446段の倍ですね。
まあ、お遊びですが記念となりました。名前はもちろん本名ですよ!
涼しさも少しは戻って来ましたので、更に登りました。
石段の途中には、下居社など数社の境内末社が祀られていました。
暑い中、紫陽花の花の激励を受けながらの三の坂。
石段の登りは、更に続きます。
最後の登りをこなして斎館への道を左に分けると、道の上の方に赤いのが見えて来ました。
杉並木の碑・説明板や手水舎を過ぎると、境内入口の鳥居です。
片道2446段・往復4,892段(多分)クリア出来ました。
カルディナの”やった~ぁ、戻って来たよ!”のバンザイでしょうか。
”登ってしまえばこっちの物!”でしょうか? 誰かさんの笑顔とⅤサイン。
狛犬さんも笑っていますよね。
人が多くなっていた境内を少しだけ散策。
松尾芭蕉翁の像などを見学し、駐車場へ。木々の緑が綺麗でした。
境内社の霊祭殿 |
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かなり広い境内でした。
太くて立派な杉の並木が続いていて、とっても静かで厳かな感じがしました。
数少ないですが今まで見て来た杉並木の中の№1でしょうか。
石段は高さ・幅ともとても歩き易いつくりでした。
どこぞの山の階段みたいに、歩幅が合わず使ってもらえないのと大違いです。
歩く人に優しい石段でした。
帰宅後知ったのですが、2446段の石段には盃・ひょうたん・蓮の花の形が
全部で33個彫られていて、全部見つけると願いが叶うそうです。
リサーチが足りませんでした。反省。再訪をしなければ!
そして、ムササビも住んでいるとかです。
この後、温泉ではありませんが早く汗を流したくて休暇村にて入浴。
さっぱりとした所で、鶴岡市の道の駅・庄内みかわへ移動。
食事をしたり、野菜やお土産を買ったりして、鶴岡ICへ。
無料となっている山形自動車道を使いながら、次回のために湯殿山有料道路などの下見。
そして、同じく山形道の月山湖PAへお立ち寄り。
やはり、頂にはかなりの雲が。
こんな風に見えるんだって! PAの案内板です |
帰って来てからも天気図を見ていましたが、山頂の天候不良は暫らく続いた様でした。
北アへとも考えていましたが、これを逃すといつ行けるか分からなくなりますので
少々無理を承知で出かけてみました。
天気が悪いながらも雨具は不要で、それなりに楽しむ事が出来た5日間でした。
でも、やはり晴天の山遊びをしたいですね。
取り合えず、東北の山でほんの少しだけ山遊びを楽しませてもらいました。
1度くらいさわりを遊ばせて貰っただけでは、その山を知った事にはならないでしょうから
どうしても、再訪あるのみでしょうね。
次回は是非とも、天気の良い時にお邪魔をしたいです。
まあ、ただ祈るばかりですが。
5日間もの応援、本当に有難うございました。
カルディナの羽黒山レポは、こちらです。
さて、次は何所に行きましょうかね。
さて、次は何所に行きましょうかね。
最後までお付き合い頂き、有難うございました。