のほほんと山遊び




鎌倉の裏山ハイキング 2012.02.21.






 

あまりにも暖かな日差しが注いでいる朝、おっとり刀でお出かけ。
(取るものもとりあえず、急いで出かけた)

以前から歩いてみたかった、大仏坂から極楽寺への古くからの山道。

隣町の逗子市で育ったカル2、我が故郷の里山遊びの延長線上です。

天気は上々なれど、本日の幸運の神様は如何に?



カルディナのレポは、こちらです。一緒にご覧下さい。



・日 時 2012年02月21日(火) 天候:晴れ

・行 程 

@ 鎌倉駅〜大仏坂  当然にも通り道の狛犬さん詣で
A 大仏坂〜極楽寺の古道歩き  大きな樹や一番枡があります
B 大仏坂〜葛原ヶ岡〜浄智寺  皆さんお馴染みの裏大仏ハイキングコース
C 浄智寺〜六国見山〜北鎌倉駅 展望台からの眺めが素晴らしい所。但し、ピーカンならね。



@ 鎌倉駅〜大仏坂  当然にも通り道の狛犬さん詣で



鎌倉駅から御成の市役所前を通り、神社に詣でながら長谷へ。

市役所前の御成諏訪神社には1対の狛犬さんが。



佐助の浅間神社は、不在でした。

長〜〜〜い階段を登った先のお社の左手には、裏大仏ハイキングコース入口の案内もありましたが

ここから葛原ヶ岡へ向かってしまっては、当初の目的が達成できませんので一旦降りて長谷へ。

(狛犬さん関係は、別途レポとします。)



高徳院・大仏さんの後姿を眺めながら。

外からですと無料で、尚且つ、空いて居ますしね。



こんな道を通って、大仏坂ハイキングコース入口へ。



さすがにやっと暖かくなって来たこの日、チビッコたちがいっぱい石段を降りて来ました。

チビッコの降り待ち後、少しだけ登って大きな案内板の所で裏大仏コースを右に分けました。

 裏大仏コースの道標はありますが、極楽寺への案内はありませんのでご注意を。



A 大仏坂〜極楽寺の古道歩き  大きな樹や一番枡があります


更に石段を暫し登り、展望台の在る極楽寺の県水道の施設前へ。



”桜の頃は綺麗だろうね”などと話しながら足元のタンポポを愛で、更に極楽(寺)へ。



施設の周囲を巻く道の奥に、短いながらロープが。極楽に行く補助具ですね。



小さな段差を”エイヤッ!”とこなして、更に極楽へ向けて。

少し竹が煩いですがよく踏まれた道を進むと、大きな樹々が姿を見せてくれました。



雰囲気の良い道を4〜5分進むと、孟宗の竹林が。

皆さん触れる位置が同じと見えて、一部の箇所がピッカピカ!



竹林を越えると、またもや大きな樹が゙。巨木好きには堪りません!



更に少し進み一升枡遺跡まで来ると、何と言う事でしょう!通行止めの掲示が。

”この先私有地があるため、通り抜け出来ません”だって。

これでは、極楽(寺)へ辿り着けません!



やはり極楽へと続く道は、平坦で安易な道ではないのでした。

仕方が有りませんので、一升枡遺跡の淵の土塁を回り込んで切堀を降り極楽寺二丁目へ。

これで何とか当初の予定に近い、極楽(寺)への道が開けましたかね。

極楽に行くのは、なかなか大変の様子。頑張らねば!←何を頑張るんだか?



※ 一升枡遺跡とは

 一升枡遺跡(人枡土塁)は、鎌倉特有の三方向山に囲まれた地形上の防衛遺構との事です。
 今回通って来ました尾根道は、その昔から交通の要衝でした。
 そこに桝形(出陣の際、兵の集まるところで、侵入した敵の動きを妨げる効果もある)と堀切(地を掘って切り通した堀)を設けた。
 土塁(土を盛り上げて築いたとりで)横に道の痕跡があり、鎌倉幕府の関所的な役割も担っていたのではないかともいわれています。また幕府が滅亡した1333年の新田義貞による鎌倉攻めで人桝(軍勢を入れて人数を数えるための桝形)として使ったとの言い伝えや、蒙古襲来に備えた要塞遺構との説もあります。

 五升枡遺構まで在るようですが、詳しい資料は残念ながら残っていないとの事です。



最初の目的が古道を歩く!でしたが、極楽寺には届かずで何とも中途半端に。

ここで思案、極楽寺に向かって以後狛犬さん?それとも、予定通りに裏大仏へ?

カルディナの様子を見てみると、当然にも後者ですよね。選択の余地なし!

で、来た道を戻りましたとさ。

しか〜し、ただでは戻りません。途中の枝道の探検をしつつでした。

踏み跡があると、何処へ続いて居るのかと興味が湧きますものでね。

大体の降り口が想定できましたので、次回のお楽しみに。



B 大仏坂〜葛原ヶ岡〜浄智寺  皆さんお馴染みの裏大仏ハイキングコース


県水道施設前でランチを済ませて、石段を降りて裏大仏ハイキングコースへ。

左の石段を降りて来て、左折し登り返す。



ここからは有名?なハイキングコースでして、行き交う人が多いです。

こんな道をひと登りすると、暫くほぼ平らに。



こんな雰囲気の穏やかな道を行きますと、木の間越しに海も見えて来ました。



ハイキングコースに入って45分程歩くと、浅間神社からの道が右から合わさって来ました。

樹々を眺めながら歩き、こんな感じの道を少し登ると鎌倉駅方面の分岐でした。

里山のハイキングコースですので、矢鱈に分岐があります。



その後ほぼ最後の登りとなりますこんな所を過ぎると、逗子マリーナ方面が見えて来ました。



海が見えると直ぐに、葛原岡神社でした。

こちらは縁結びで有名とかでして、多くの若いお嬢さん方がお参りをされていました。

で、こちらで少しだけ休憩。



この後は少しだけ登って、浄智寺まで降りるだけです。

で、いつの間にか、こんな階段が出来ていました。

従来の道は、少し歩き難かったからでしょうね。



多くの人に歩かれている道を辿り、15分ほどで浄智寺に着きました。

時刻は13時55分、素早く計算。帰りにあそこに寄っても、十分に!

と言う事で、横須賀線の踏切を渡り六国見山へと向かいました。



C 浄智寺〜六国見山〜北鎌倉駅 展望台からの眺めが素晴らしい所。但し、ピーカンならね。


下の地図は、ドラッグにより場所を移動できます。



横須賀線の第3鎌倉道踏切を渡り左折。直ぐに、小川沿いの明月院への道を右折。

暫く道なりに進むと、道の左角に案内板がありました。(地図の1.左角に案内板



説明し難い道順ですが、短い階段を登り左方向に向かい、上の地図の2.山道入口へ。



階段を数段登り、土のこんな山道に入りました。



散歩をされていると思われる数人の方とすれ違いながら、

穏やかな道を10分ほどで、三等三角點標石がポツンとある六国見山山頂でした。



展望が利かない山頂を後にして、さらに北東方向へ。

こんな道をこんな危なそうな人を避けながら歩き、
              ↑2枚下の写真の人の事か?



10分足らずで稚児墓でした。

※ 稚児墓
    由比の長者、染屋時忠の娘のものという説もあるとか。
    由井の長者といわれた染屋時忠の娘が大きな鷲にさらわれ、
     その後、娘の残骨が各地で発見された。
    その一つが六国見山の南だったという伝説もある様です。



更にこんな道を進むと、



直ぐに、地図の3.六国見山森林公園(展望台)でした。


浅間大神の碑と、どこかの人



展望台からの公園の眺め。

近隣にお住まいと思われる方々のお散歩コースの様でした。



安房上総下総武蔵相模伊豆の六つの国を一望できた事からその名が付けられた

六国見山、午後の日差しの中では今一眺望は良くありませんでしたが少しだけご紹介。



富士山は肉眼では見えていたのですが・・・。

そして、江の島の後ろには伊豆大島も見えるはず。天気さえ良ければね。

次回は、展望の良い時に!としましょう。

十二分に眺望の良さを思い浮かべながら、北鎌倉駅へと向かいました。

展望台の下にこんな標柱がありました。



階段状の道や緩やかな土の道を降ると、地図の4.六国見山森林公園(南広場)でした。



これでハイキング?お散歩?は終了で、住宅地の舗装路歩きとなります。

南広場の前の道を右・西へ進み、地図の5.左角に案内柱の地点へ。



ここからは、南西方向に坂道を降りて行けば、横須賀線の線路際へと出られます。

で、我々は途中にお立ち寄りをしましたので、遠回りを。

お立ち寄りは、2ヶ所。そのご紹介です。


左は小八幡社、右は八雲神社の狛犬さんです。

手抜かりなくこちらの趣味も満喫しまして、北鎌倉駅へと向かいました。

こんな感じの、鎌倉の裏山散歩?ハイキング?でした。

で、携帯の万歩計数値は、27000歩を超えていましたとさ。

何とも少しお疲れの、お散歩となりました。

これで、今回の鎌倉の里山レポは終了となります。



カルディナのレポは、こちらです。是非一緒にご覧下さい。



さて、次は何所に行きましょうかね。

最後までお付き合い頂き、有難うございました。